円舘工芸舎について
「合わせ」の技を持つ
木地師だけがつくれる木製品
木の地肌(木を切った時に出てくる木目)のことを「木地(きじ)」といい、塗りや彫りなどの加工や装飾を施していない状態の木工品のことを意味します。木工ろくろを使い、お椀などの木製品を木から削り出してゆく職人を「木地師」といいます。
円舘工芸舎は3名の木地師が削り出しから塗装までを担当し、木製品づくりをおこおなっております。茶筒の蓋が気密性の高い状態で本体にぴったりと収まる「合わせ」という技は、熟練した木地師の高い技術によるものです。職人が受け継いできた技術と槐の持つ風合いをぜひご体感ください。
円舘工芸舎は3名の木地師が削り出しから塗装までを担当し、木製品づくりをおこおなっております。茶筒の蓋が気密性の高い状態で本体にぴったりと収まる「合わせ」という技は、熟練した木地師の高い技術によるものです。職人が受け継いできた技術と槐の持つ風合いをぜひご体感ください。
円舘工芸舎 代表
木地師
円舘 金
Endate Kin
削り、仕上げ加工担当
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木地師・前代表円舘 功荒削り、仕上げ加工担当
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木地師円舘 章木取り、蓋制作担当
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磨き職人円舘 貞子木取り、塗装担当
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企画・営業円舘 綾子販売促進担当
私たちのこだわり
食品と相性のよい北海道産 槐
木製品の原材料となる樹木は全て厳寒の北海道で育った槐(エンジュ)を使用しております。「延寿」や「円寿」とも記され、長寿にまつわる縁起の良い樹木でもあります。年輪が密で硬く、臭いも少ないため、食品に触れる茶筒や食器などに適しております。原木は屋外で数年間天日乾燥された後、荒堀り→自然乾燥→仕上げ加工→自然乾燥→塗装と、何度も乾燥と調整を繰り返すことで気密性が高く、狂いの少ない木製品を作り続けております。
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槐の原木は天日にさらし、数年間かけてじっくりと自然乾燥させます。割れやヒビが入った部分は工房の薪ストーブの燃料になります。
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木製品は全て荒削りした状態で工房2階の保管庫に保存され、自然乾燥してゆきます。ご注文を頂いてから仕上げ加工をおこないます。
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木製品の加工に使われるカンナ棒(刃物)は職人自ら鍛冶をおこない、木製品の形状に合わせて手作りしています。
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仕上げ加工後も、乾燥、微調整を何度も繰り返すことで、狂いが少なく気密性の高い木製品が完成します。
円舘工芸舎の歴史
美幌町で創業し半世紀
「円舘工芸舎」は父・円舘 功を代表として北海道美幌町にて昭和46年に創業し、北海道産の槐(エンジュ)を材として茶筒を作り続けてまいりました。平成30年に現代表である円舘金が事業を継承し、現在家族5人で役割分担をしながら、木地師と呼ばれる職人を中心に一つ一つ手作りで木製品を製作しております。近年「KiNブランド」を立ち上げ、木製品の新たな可能性を広げる作風を展開。時代とともに生活様式や考え方・価値観が変化する中、職人としての技術を活かしながら、よりよいものづくりへの姿勢は変えることなく日々取り組んでおります。
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昭和20年頃、岩手県久慈市の工房で木工ろくろ職人の見習いを始めた父・円舘 功。
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昭和24年、岩手県岩泉町安家へ移転し、発動機を利用した木工ろくろで木製品創り。
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昭和42年5月、北海道網走郡津別町相生へ家族5名で移住し(株)阿寒銘材に勤める。
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昭和46年8月、北海道美幌町稲美で円舘工芸舎(美圓)を起業。
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昭和48年10月、美幌町稲美から日の出へ移転。息子3人も家業を継ぎ、現在に至る。
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家族4人の職人が木製品作りに勤しむ、現在の円舘工芸舎の工房。
〈 沿 革 〉
- 1945(昭和20)年
- 岩手県久慈市大川目町三日町にあった大川目鉱山(金鉱)から始まる。鉱山閉山後の昭和20年ごろ、空き工場に木工ろくろを設置し、山形県から鎌田茂八氏や会津若松から師匠・山口等氏が製造を始める。父・円舘功は、小学校卒業後入社し木工ろくろ職人の見習いとして働く。
- 1947(昭和22)年
- 久慈市山根に移住。この地に祖父・円舘力蔵(1904-1960)と父・円舘功が小さな小屋を建て、水車を動力として木工ろくろを続ける。
- 1949(昭和24)年
- 岩手県岩泉町安家へ移転。発動機を利用した木工ろくろを再開する。
- 1952(昭和27)年
- 工場を新設し、昭和31年から製材所を設ける。
- 1961(昭和36)年
- 祖父・円舘力蔵が亡くなり、翌年の昭和37年に工場を閉鎖する。
- 1967(昭和42)年5月
- 北海道網走郡津別町相生へ家族5名で移住。父と母は、(株)阿寒銘材で4年間雇われる。(株)阿寒銘材では、欄間やアイヌの小刀などの民芸品を製造していたが、木工ろくろを設置され、茶筒や茶がめの制作をした。
- 1971(昭和46)年8月
- 北海道美幌町稲美に移住し、円舘工芸舎(美圓)を起業。功と妻・貞子の2名で経営する小さな工房でした。この時、息子3兄弟は、木工ろくろを父から見よう見まねで教わる。
- 1973(昭和48)年10月
- 美幌町稲美から日の出へ移り、工房を広げ、数年後、息子たち3名が家業を継ぎ、現在に至る。
- 1983(昭和58)年9月
- 工房を以前の約2倍の広さに増設。量産体制を整える。また工房の屋根には、八角形の形をした多角面ドームの天体観測所を設置。
- 2018(平成30)年4月
- 事業承継を行い、円舘 金が代表者となる。